明日ありと思う心の仇桜

明日ありと思う心の仇桜の解説

【読み方】
あすありとおもうこころのあだざくら

【意味】
明日ありと思う心の仇桜とは、明日はどうなるかわからないという、世の中や人生の無常を説いたことば。

【注釈・由来】
「仇桜」とは散りやすい桜の花のことで、「徒桜」とも書く。
明日も咲いているだろうと思っていた桜も、夜のうちに嵐が吹いて散ってしまうかもしれないという意味から。

『親鸞上人絵詞伝』に「明日ありと思ふ心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは(明日もまだ桜は咲いていると思っているが、夜更けに嵐がきて桜の花を散らすことがないといえようか、そんなことはない)」とある。

【出典】

【例文】
明日ありと思う心の仇桜というが、彼女の人生はきらびやかでいて、あっという間でもあった。

【注意】

明日ありと思う心の仇桜の関連語

【類義語】
朝に紅顔ありて夕べに白骨となる/世の中は三日見ぬ間の桜かな諸行無常/無常迅速

【対義語】
明日は明日の風が吹く/明日のことは明日案じよ/明日はまだ手つかず

【英語のことわざ】

【索引語】
明日ある思う仇桜

【分類】
人生・社会 > 時代・時機,運命の変転,世の儚さ

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