十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人の解説
【読み方】
とおでしんどうじゅうごでさいしはたちすぎればただのひと
【意味】
十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人とは、幼少時代は並外れてすぐれているように見えても、多くは成長するにつれて平凡な人になってしまうことのたとえ。
【注釈・由来】
十歳の頃に「神童」と称され、十五歳になって「才子」と言われるような、才知ある子供でも、成長するにつれてごく平凡な人間になってしまうことはよくある。
自分の子を神童と思い込んでいる人に対しては戒めの意で、かつて神童と称された人は自嘲の気持ちを込めて使うことが多い。
【出典】
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【例文】
十で神童十五で才子二十過ぎればただの人ということもある。三歳で英語が話せるようになったからといって、過度に期待をかけすぎてはならない。
【注意】
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十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人の関連語
【類義語】
十で神童十五で才子二十過ぎては只の人/十で神童十五で才子二十過ぎれば並の人/六歳の神童十六歳の才子二十歳の凡人
【対義語】
栴檀は双葉より芳し/実の生る木は花から知れる/蛇は寸にして人を呑む/虎豹の駒は食牛の気あり/啄木鳥の子は卵から頷く/大器晩成/秀才は晩成にしかず/大きい薬缶は沸きが遅い
【英語のことわざ】
・A man at five may be a fool at fifteen.(五歳で大人並みの子は十五歳で馬鹿になる)