人が寺へ参らば我は鮨食おうというの解説
【読み方】
ひとがてらへまいらばわれはすしくおうという
【意味】
人が寺へ参らば我は鮨食おうというとは、人がすることに対して、いちいち異を唱えるひねくれ者やあまのじゃくのたとえ。
【注釈・由来】
寺へお参りする人がいれば、自分は鮨を食べるといった、まったく異なることを言い出すことから。
寺と鮨を対照的に使っているのは、寺は山にあり、鮨は海の幸であることや、仏教の戒律では殺生を避けることからと思われる。
【出典】
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【例文】
・あいつは人が寺へ参らば我は鮨食おうというような奴だ。
・人が寺へ参らば我は鮨食おうというような天の邪鬼だから、相手にするのも馬鹿馬鹿しい。
・いつもなら人が寺へ参らば我は鮨食おうというのに、今日はやけに素直だ。
【注意】
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人が寺へ参らば我は鮨食おうというの関連語
【類義語】
天の邪鬼/へそ曲がり/つむじ曲がり/右と言えば左/西と言えば東と言う/山と言えば川と言う/野へ行けといえば山へ行くという/ああ言えばこう言う
【対義語】
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【英語のことわざ】
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